南九州視察記 其の2 ~福岡篇~
福岡篇は、出陣篇(↑)の続きである。 計画上は通過地点であるが、2箇所立ち寄ったので短く報告しておく。
小雨時折降る中、第一の目的地に到着した。
宗像(むなかた)大社(辺津宮)である。
宗像大社とは、訪れているこの地(辺津宮)のみを指すのではなく、数キロ沖合の大島にある中津宮、更には50キロ程沖合の沖ノ島にある沖津宮の三社を総称して言う。
参拝するぞ~徹底的に参拝するぞ~。
因みに、宗像大社は沖ノ島の古代祭祀と関連して、世界遺産になっている。
この辺津宮には、天照大神と須佐之男尊の誓約の際、須佐之男尊に邪心無き事の証左として生じた三女神の一柱、市杵嶋姫命を祭るとせられる。
先述の如く、宗像大社は沖の二島にある中津宮・沖津宮を含めて一体となっている。 船に乗れば行けなくも無い中津宮はさておき、普段一般人の立ち入りが許されていない沖津宮参拝は困難である。
然しながら、なんだっそら、耐えられない・・・という事にはならない。
日本メイト連盟記念館 「何だっそら、耐えられない」 とは何か
何となれば、神道には勧請・分霊の概念があり、神霊は火を分けるの如く分祀できるのである。 という訳で、中津宮の湍津姫命、沖津宮の田心姫命を辺津宮の境内に分社として祀ってあるので、これを参拝すればこちら側の気分の問題は措くとして、三社を参拝した事と同義になるのである。
当然参拝して、宗像大社参拝を完遂した。 どこか見覚えのある社殿だと思ったら、伊勢神宮の摂社で、式年遷宮の際にこちらに下賜せられた物であるという。
少し奥に、高宮祭場なる場所があったので行ってみた。 石が敷き詰められた空間に一本木が生えているだけの簡素な空間であるが、社殿が常設になる前の古代祭祀の姿を残している物であるという。
無事一つ目の目的を達成し、記念に御朱印を頂いて次の目的地に発つ。
グーグルのナビは大手メーカーのナビと比して迂回・裏道に強いが、僅かな時間差でも短縮せんとして、通り易い主要道から外れて細い裏道や住宅街に誘導する嫌いがある。
このトンネルも、5ナンバー寸法を基調とする我がハイエースワゴンは辛うじて通過できたが、最近の無駄に肥大化したアホみたいな車であれば、某尊師が発見逮捕時に呟いた「頭は出ますが腹は出ません」の如き心境に陥るであろう。
奈良出陣以降無給油であったので、燃料計が危険水準に入っており、早期の給油が望まれた。 取り敢えず近場で安価な看板表示のあった給油所に入るが、給油段階になって税別価格が掲示せられていた事を知り、騙された気分になる。 嫌がらせに1Lだけ給油して別の所に行こうかと思ったが、少し調べると他も似た様な値段であった為、止む無く満タンにする。
【第1回燃費報告】 643km÷61.3L=10.5km/L
山陽道効果なのか、恐らく過去最高記録である。 やはり3Lディーゼルターボ+4AT+フルタイム四駆+2トン超の車重+ワンボックス故の空気抵抗等悪条件が重なっている為、中々9キロ台以上は伸びない。 まあ、2.4Lのガソリンよりは遥かに総合的にマシであろうとは思うが、最近の車の燃費を見るにもう一頑張りして欲しい物である。
再び有料道路のイニシエーションを行い、太宰府市で降りる。
古代から九州地方を統括する出先機関であった大宰府が置かれていた地で、学問の神=天神として名高い菅原道真公を祀る。 境内は庭園風であり、池や噴水がある。
受験生時代、学習そっちのけで夜行バス経由で祈願参拝に来たのであるが、一応成就した以上は御礼参りに兼ねてより行きたいと思っていたので、漸く念願叶って再拝となった。
季節外+夕方という事もあり、境内は閑散としていた。 ほぼ10年振り位なので記憶が曖昧で、当時印象に残っていた場所とそうでない場所が混在しており、改めて歩いてみると妙な感覚であった。
近くに国立博物館があり、折角なので立ち寄ろうかと思ったが時間が遅く閉まっていた。
絵馬を見ても、やはり合格祈願系が多い。 私も何らかの資格に挑戦する意思は有ったので、再度祈願しておいた。
参拝終了後、暫しガイド本と智津を眺めて今後の目的地や経路等を再検討し、福岡を切り上げて次なる目的地・熊本を目指す。
今回は通過しながらの寄り道程度であったが、またいずれ北九州徘徊の機会を設け、其の際に福岡を細かく巡りたいと思う。
越境するぞ~越境するぞ~
という訳で、尊師の故郷でもある熊本篇に続く